バンドマンの女という概念

バンドマンの嫁に進化しました。幸せです、残念ながら。

私の「エモい」音楽の定義について

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「エモい」。

音楽を日常的に聞く人であれば、きっと一度は口にしたり耳にしたりすることのある言葉だ。

うまく言葉に表せない感動や感激を、誰にでも伝わりやすく端的に表したこの表現。頭なんて使わなくてもいい、「エモい」と言っておけばとりあえず音楽の良さを大勢に何となく伝えることができ、音楽の感動をみんなと共有することができる。

だからこそ、今この言葉に昔ほどの価値はない。「ヤバイ」以上にバカの一つ覚えみたいに皆こぞってこの言葉を口にする。だって簡単だもの、便利なんだもの。現代人の良くないところだよなあ。

私は音楽が好きだ。言葉が好きだ。だからこそ、「エモい」という言葉を頭を空っぽにして使いたくない。だから、私なりの「エモい」という言葉を、「エモい」という音楽を、ちゃんと定義したいと思う。

私なりの「エモい」、私なりの「エモーショナル」な音楽。

それは、夜通し高速を車で飛ばした後に吸い込む、澄んだ早朝の空気が似合う音楽だ。

 

 

メンバー全員が平日は仕事をしながら、週末はバンド活動に明け暮れる。今でこそ少しずつ珍しくなくなっている、私たちはそんな「週末ヒロイン」ならぬ「週末バンドマン」である。

かの有名なASIAN KUNG-FU GENERATIONも、今をときめくOfficial髭男dismも元々はこの「週末バンドマン」であった。ただし悲しいかな、両者とも今の私の年齢の時には、すっかりスーパースターとなっていたのだけれど。

 

そんな四国の片隅で「週末バンドマン」をこなす私たち。県外遠征は専ら車での移動となっている。

隣接する四国内の土地であればもちろんのこと、瀬戸内海を越え九州や関西、なんなら東京ぐらいまでは車を運転して向かったことがある。さすがに片道12時間は二度と運転したくないと思った。

そんな車での遠征時、ドラマーでありバンド内最年長である私の主な役割は夜走りだ。行きの車では爆睡し体力を温存、到着後ライブに出演。打ち上げは黙々とウーロン茶を摂取し、飲みニケーションは社交的でお喋り好きなフロントマンに全部お任せ。宴もたけなわとなった頃に車を持ってきて機材と共に酔っぱらいを積み込み、いざ帰路に出発。これがいつものバンド内の私の役目となっている。

四国内の移動であれば出発時刻によっては日付を跨ぐ頃には帰れるのだけれど、海を越えたり数日間のツアーとなれば話は別だ。死んだように眠る酔っぱらいを後部座席に転がして、1人で黙々と真夜中の高速道路をかっ飛ばすこととなる。

眠気が限界に来たらサービスエリアに車を止め、2~4時間ほど仮眠を取り、夜が明ける前に再び走り出す。とんでもない苦行だと思われることも多いのだけれど、こんな孤独な真夜中のドライブが私は意外と嫌いじゃない。

 

真っ暗な闇夜が徐々に濃紺、紫、橙と鮮やかなグラデーションを描いてゆく。休憩する為にサービスエリアに立ち寄り、車から出て深呼吸すると、ピリッと冷たい空気がくたびれた肺に澄んだ酸素を行き渡らせてくれる。そんな美しい景色や自分の五感を思い出させてくれる音楽があるから、私はこの孤独なドライブが嫌いにはなれないのだ。

 

 

あれは名古屋から京都に向かう道中だっただろうか。深い緑が鮮やかな山の中のだだっ広い4車線を、前も後ろも一台も車が見当たらない中ひたすらにアクセルを踏み続ける。いろんな意味でギリギリのスピード感の中、水彩画のような夜明けのグラデーションに包まれながら、車のスピーカーからはlostageの「さよならおもいでよ」が流れ始めた。

その瞬間、私の右足にはさらに力が入る。疾走感の溢れるギターリフ、上がる心拍数と共にリズムを刻むドラム。重い瞼は一瞬にして覚醒し、車の中の閉塞感は一瞬で遠くに消し飛んだ、かのように思えた。この曲を聴くと、いつでもその時の美しい光景と、それが目の前に広がった解放感を鮮やかにこの身体に思い出すことができる。

 

 

話はそこから少し飛んで、別のとある某日AM4:58。仮眠明けにきちんと身体を動かさなかったせいか、2時間ほど車を飛ばしたところで自分の肩と腰の悲鳴に耐えられなくなり、私は一度数キロ先の小さなパーキングエリアに停車することを決めた。

夏とは言え日が昇る直前の時間帯の山の中はまだ少し寒い。澄んだ空気とだいぶ明るくなった高い空。 月曜日の早朝、止まっている車の数は片手で数えられるほどしかいない。車を広い駐車場の隅に停めて、ゆっくりとサイドレバーを引く。助手席で寝こけるメンバーを起こすのはあと2~3時間走ってからにしようと思い、1人そっと運転席を抜け出した。

大きく息を吸い込むと、ひんやりとした冷たい空気が自分の身体を侵食する。この時初めて、車の中の酸素が薄くなっていることに気がついた。自動販売機で飲み物を買って大きく伸びをし、ぼんやりと山間の風景を眺める。昨夜の煌びやかなライブハウスの光景を思い出しながら、先ほど車の中で流れていたAge Factoryの「Yellow」の歌詞を私は無意識に口ずさんでいた。

それ以来この曲には、彼らの曲には、私の中でいつも早朝の澄んだあの凛とした空気のイメージがつき纏っている。重たい自分の身体と酸素の薄い車内、そして充実した時間を過ごした後の少ししぼんだ風船のような僅かな高揚感もセットとなって。



 

孤独なドライブと、その中で聴く音楽。

それらが与えてくれる、この美しくて儚くて鮮やかで、鳥肌の立つような感覚を知っている者は他に誰もいない。

この特別な感情は私にとって、自分の中だけにしかないとても大切なものだ。

感情が動く、という意味を持つ「エモーショナル」が由来となる「エモい」という言葉。

そもそも感情が動くということは、人間にとって日常の中にある特別であるべきなのではないかと思う。

だからこそ、日常の中にはあれどちゃんと特別感をもって、自分の意志をもって私はこの言葉を使ってあげたい。

自分の中の特別な感情や感覚。

それらを彩ってくれる特別な音楽に、きちんとこの美しい言葉を与えてあげたい。

 

 

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