クリエイティブと執念、半ば怨念じみたもの
先日MOROHAがこんな曲のMVを公開しましてね。
よく最近一緒に映像班として組んでいるエリザベス宮地さんがテーマの曲であると察する訳です。タイトルから。
でも私がこの曲を聞いて浮かんできたのは、どうしようもない大学生時代の私自身だったわけです。
大学時代、バンドサークルに所属していた私は2回生の頃から『撮影係』に任命されておりました。
サークルのライブやイベントなんかの写真を撮って、後日それをアルバムにまとめてサークルの部室に置いておく、という一連の仕事を任される係です。
当時わたしはサークルのみんなが大好きでした。
夢にまで見ていたバンドサークル生活を叶え、その生活の中には今までの私の人生の中で出会ったことも無い面白い人達、尊敬出来る人達、格好いいバンドマンに囲まれる生活。
そりゃあ楽しかった、今までの人生で1、2を争うレベルで充実した生活でした。
けれども、同時にわたしはとても孤独でした。
バンドマン界隈ならではの面倒くさい人間関係や男女関係ばかり目の当たりにしたり、様々な出来事から『わたしはこんなにみんなの事が大好きなのに、わたしを本当に大事にしてくれる人は誰もいない』という事に気づくのです。
集団行動をしてる時に、1人だけ置いていかれる人、いますよね。
あれが私です。
置いていかれる人間にしか分からないんです。
この感情。この感覚。
あ、わたしここにいなくてもいいんだ、って。
分かるんですよね。
あれ、誰が悪いわけでもないんですよ。
別に悪意を持ってみんな置いて行ってるわけじゃないんですよ。
分かってるんですよ。
だからこそ辛かった。
そんな時に、わたしは『撮影係』という役割を与えられるのです。
嬉しかった。
わたしはまだ、わたしが居たい場所に居てもいいのだと。
そう言われた気がしたのです。
『撮影係』の任務を与えられて以来、わたしはサークルのライブイベントには必ず出演しました。
大学入学のお祝いに、祖父から買ってもらったデジカメを引っ張り出して、ステージに登るたくさんのサークルの先輩後輩、同級生をこれでもかと撮影しました。
デジカメのファインダー越しに覗くサークルメンバーは、全員が輝いていて、いつも以上に格好よくて。
私にとっては、みんなこんな風に見えてるんだよ。
誰にも言えなかった『格好いい』『最高』『大好き』を、わたしはファインダーを通して1人昇華させ続ける日々を送りました。
私の撮った写真を、当時SNSのプロフィール画像に使ってくれたりする事が、わたしはとても嬉しかった。
あれは私が撮った写真なんだよ、って、知ってる人みんなに自慢して回りたい気分だった。
しかしそんな『撮影係』の任務も、わたしの孤独を癒すことは出来ませんでした。
いよいよひとりぼっちになったわたしは、精神科のお世話になる事になります。
そんなわたしにも、その頃ぼんやりした夢がありました。
大学を卒業する頃に、1人でひっそり死んでしまおう。
当時の私の一人暮らし生活は、死んだとて誰にも2週間以上気付かれない自信がありました。
それほどまでに、わたしは他人との接点がなかったのです。
自分の人生に、これまで以上の幸せはないと。
自分の人生に、これからは必要ないと。
それが一番美しいと、そう本気で思う事がありました。
そう思いながら、わたしは写真を取り続けました。
この時わたしは、ひたすらに写真を撮る側に回りました。
当時のサークルの写真には、私が写っている写真はきっと片手で足りる程もありません。
写真に写りたくなかった訳ではありません。
わたしなりの、精一杯のみんなへの当てつけでした。
写真にいないわたしは、きっといつしか綺麗に忘れ去られる。
それでもわたしは、誰よりも自分がその場にいた証拠と成れる。
写真のどこにも写っていなくても、その写真が残っている事こそ、私が生きた証だから。
MOROHAの『エリザベス』を聞いて蘇ったのは、昨年の夏に亡くなった祖父から貰ったデジカメを握って、1人で孤独と戦っていた大学時代の私でした。
誰よりもみんなが大好きで、誰にも愛されなくて。
それでも、それでも、誰よりもわたしという存在を覚えていて欲しかった。
写ることではなく、写すことで、わたしの生きた証を残そうとした。
必死に生きていたわたしが、そこにはいました。
いろんなことがあって、なんとかわたしは今も生きています。
死にたいとは思わなくなりました。
今までよりもっと、楽しい事がこれからたくさんあると知ったから。
慌てて死ななくても、人生は本当に短いと知ったから。
それでも、当時の気持ちを忘れたことはありません。
クリエイティブな事がしたいと思う奥底には、必ず当時と同じ思いがあるのです。
わたしが、生きた証を残したい、と。
バンドで音楽を作るのも、こうしていろんなことを文章に残すことも。
全てわたしの生きた証だと、いつしか誰かに見てもらいたいのです。
世界中にたくさんいる、所謂クリエイターと呼ばれる方々の中には、そんな想いで創造し続けている方々もきっとたくさんいるのでしょう。
そんな方々の姿や作品は紛れもなくきっと美しい。
生命を削って、自分という存在をこの世に遺しているのだから。
当時の事を思い出すとまたカメラやりたいな、って思ったりもするな。
それと、今の時期になって思わぬ『写真撮ってて良かった』ってことは、結婚式なんかでみんなが使ってくれることかな。
そんな声が掛かる度、ライブ中だけじゃなくて普段の写真ももっと撮っておけば良かった、って思うんです。
死ぬまでクリエイティブな事は何かしら続けるつもりではあったけれど、それで生きていけるような気がしている今は、当時より人生がもっとずっと楽しくなっています。