バンドマンの女という概念

バンドマンの嫁に進化しました。幸せです、残念ながら。

過去に置いてきた昔の私と物と人

あけましておめでとうございます。

今年も人生満喫して生きたいと思います。

新年早々ですがバスに揺られ実家に帰っています。1泊2日で。

 

実はわたし実家に居るのが正直だいぶ苦痛です。

なので年末年始もこんな親不孝な実家帰省を毎年行っております。

 

家族は好きです。

退職して自分の趣味に黙々と時間と金を費やす父も、1度退職したのに周りからの期待が大きくて、ぶつくさ言いながらも復職してバリバリに働いてる母も、親のスネ齧りまくりながらも働いたり学校通ったり各々の趣味に情熱を注ぎまくる妹達も、みんな好きだし、この家族にしてこの私ありと言う感じがしています。

それでも私は、出来ることであれば実家に何泊も留まりたくないなあと思ってしまいます。

 

ひとつは寝床が狭い上に自分のパーソナルスペースがないのが大きい理由。

実家がマンションの一室なもので、子供の頃はまだしも成人した大人5人が暮らすのはさすがに無理があるだろうと。

娘3人は寝室が一緒なので、二段ベッドを2つ駆使してどうにかこうにかやっています。

 

もうひとつ根本的なものは、高校卒業まで過ごした地元にあまりいい思い出がないということ。

中高一貫校で立派な陰キャとして鬱屈した学生時代を送っていた上に大学時代が楽しすぎたもので、益々地元へのイメージが下がる下がる。

変に地元では指折りの進学校だったもので、その中でピンキリのキリに近い方でわやわやしていた自分は、周りの人間に対する自分のコンプレックスも膨れ上がるしかなかった。

進学先は東大京大早稲田慶応、関関同立その他医学部以外は眼中になし。最終地点は医者や看護師、銀行員に官公庁。そんな人達ばかり。

変に自分が鬱屈した精神を持ったまま大人になってしまっているのもあるかもしれない。あるかもしれない、が、それでも私は同じ高校を卒業した人達の事を最後まで好きにはなれなかった。なんなら未だに好きになれないでいる。同じ吹奏楽部の部員だった同級生の友人以外は。

 

今いる会社の名前がそこそこ全国的には高いので、大企業勤めの肩書きを得て多少はコンプレックスはマシになったかもしれないが、思春期の頃に得た感情はそう簡単に矯正されるものでもない。

できる限り同級生には会いたくないが、狭い土地柄誰が何をやってるかなんてすぐ情報が回る。

それも嫌で地元を飛び出し、極力寄り付かないようにしている。

お陰で私はだいぶ消息不明の存在となっているらしい。願ったり叶ったりである。

 

 

そんな私であったが、唯一親友と呼べる友人が高校時代にはいた。

私と同じように同じ高校の友人達が嫌いで、この狭い町を早く出たいといつも話をしていた。

 

日岡山にバンドでライブをしに行ったのだが、岡山という土地に行くとなんだかいろいろ考えてしまう。

ネットで仲良くなり、未だにいろいろありながらも付き合いの続いている友人がいた場所であり、大学時代の数少ない親友の嫁いだ地であり、大学を中退し靴職人となった相方の親友が生まれた土地であり、その中高時代の唯一の親友が進学した土地でもある。

なんだかんだ岡山に縁のある人間との縁が多い。

 

その親友も大学に進み、私と同じようにバンドサークルに入った。

成人式の同窓会をしれっと2人で抜け出し、大学での楽しいあれやこれを話した事も覚えている。

 

しかしいつの間にか疎遠になり、今では彼女がどこで何をしているかも全く知らない。存命なのかどうかさえも定かではない。

学生時代に家族関係も少し暗い影のあった女の子だったので少し心配ではあったが、本人はそういった感情を向けられる事を一番嫌っていた。

なのでわたしは、それに触らないようにする事しかできなかった。

 

 

地元の事や、岡山の土地の事を思い出すと、彼女は今どうしてるのだろうか、と思う。

もう一度あの頃のようにくだらない話で笑いたいけれど、きっとそうもいかないだろう。

家族というしがらみのない分、私の方が自由に、遠くに飛べてしまった。少しだけそんな負い目も感じてしまう。

 

なので、彼女が今どこかで、存命で普通の暮らしを送ってくれていればいいな、とだけ思っている。