バンドマンの女という概念

バンドマンの嫁に進化しました。幸せです、残念ながら。

文章を書く事のはなし

幼い頃から文章を書く事は嫌いじゃなかった。


小学生4年生くらいの事だったと思う。国語の授業で、教科書の物語の続きを書こう、という課題があった。
クラスメイトが皆原稿用紙1枚を改行やら句読点やらフル活用してさっさと埋め放課後のグラウンドに飛び出す中、私は原稿用紙10枚近くになる超大作を最後まで1人教室に居残ってせっせと書き上げた。
一緒に居残ってくれた当時の担任がどんな表情をしていたかはもう思い出せない、微笑ましく見守ってくれていたか、はやくおわんねえかな、とぼんやり眺めていたか。自慢にもならないが、教育実習中の私は後者のような教育者であったと思う。
印刷や綴じ込み作業の関係だったのだろうが、幼い私の書き上げた『ごんぎつね』の後日譚はクラス全員分の文集の一番最初だか最後だかに載せられていた。
そんなしょうもない事に覚えた小さな優越感や自身への特別感が、私のその後の人生をひん曲げていく事など当時の私は想像もついていなかった。



自分の頭の中の事を書くとなった時、私は必ず当時の事を思い出す。
当時から現在に至るまで、私は何かしら自分の頭の中を文字で表す事が好きだった。

小学生の頃流行った可愛いポップなキャラ物のファンシーな交換ノートやプロフィール帳は必ず抜かりなく埋めて人に渡していた。
中学生の頃、同じクラスの友人をモデルにした物語を書いたノートを親友と回していた。今思い出すと思い出したくないくらい身悶えするレベルで死にたい内容しか書いてなかった。死にたい。

同じ時期にクラスメイトがいつめんで携帯HPやブログを作り、プリクラを載せたり動くデコ絵文字とかで中身の無い日常を垂れ流したり様式美として設置したBBSで明日教室でやれよそれ、というしょうもないやり取りをしている横で、当時流行っていたjugemというブログツールで東京スカパラダイスオーケストラのファンブログを書いていたとある方のブログに文字通り日参していた。
懐かしくなって逐一検索してしまう。そうだそうだMobileSpaceだ。モバスペ。うっかり公式サイトに飛んだら多分レイアウトとか仕様とか十数年前から変わってない。ピコピコ動くデコ絵文字とか右から左に点滅しながら流れていく文字列とか何一つ変わってない。心臓が抉られるような感覚に襲われたのでコンマでページを閉じた。
そしてjugemもまだ生きていたのか。流石に当時通いつめていたブログはもう閉鎖されていたけど。私のクソみたいなコメントにもちゃんとレスをくれる、文章力とスカパラへの愛に溢れた優しいナースさんだった。


その後高校に進学した私はこの頃からアナログとデジタルの両刀使い日常書きとなる。先述したナースさんに影響され、その日の1曲を締めに必ず書く日記を普通の罫線ノートに1人で黙々と毎日書き殴っていた。メインは音楽の話、部活の話、当時好きだった人の話。今思い出すと私書いてる内容めっちゃ可愛い、いじらしい。
そしてデジタルでは元来持っていたミーハー要素・ヲタク要素が2次元の方向に華開き、立派な陰キャヲタクJKへとジョブチェンジ。属性は物書き夢女子。華麗にフォレスト名前変換機能でサイトデビューしたものの自分の名前を呼ばれる事への気恥ずかしさがだんだん膨らみ3年掛けてナノやリゼなどのオサレサイトユーザーへ。なんだかんだあの頃は楽しかった、ていうか懐かしすぎる。
その手の物に触れていない人からするとなんのこっちゃという話の展開になってきている。でも多分私と同じレベルで感傷に浸ってくれる人少なくないと思う。

そして大学時代も相も変わらず自分の事を書き殴る書き殴る。高校生活最後の方には辞めていたノートの日記を再開。1人で悶々と書き殴っていたもののやっぱり誰かに見て欲しい、交流したい、と思い再びナノやリゼでブログサイト作成。書き殴る書き殴る。気分の波で紙に戻る。やっぱり寂しくなる、またブログサイトに戻る。そんな事を4年間ずっと繰り返した。私の人生の中で一番楽しかった時期だったが同時に一番荒れた時期でもあった。人間関係諸々で病み、不眠、薬に酒に飲んで飲まれて朝日が昇る頃ようやく床に付く。人が怖い、お日様が眩しい、布団にくるまったまま、Skypemixiネトゲ、2ちゃん、ニコニコ動画等々なんやかんやで24時間以上ノートPCに齧り付く。我ながらよく大学を4年で卒業出来たと思う。


ちなみに働き始めてもブログサイトは続けていた。バンドの事や恋愛の事、仕事の事を気ままに書き殴っていた。この広い広いネットワークの海のどこかにまだきっとぷかぷかと浮いている。



文章を書く事は昔から嫌いじゃなかった。
ただし、人に伝わる文章を書く事は未だに得意ではない。


私のこれまで書いてきた文章は全て、自分自身に向けて書いてきた言葉だからである。他の誰にも理解される必要はなかった。私だけに意味の伝わる文章であればよかった。
昔から日記を書いていると文章力が付く、だから日記を書きなさいという教育があるがあれは正しくない。正確には、日記を書いて、それを他者の目に晒し、フィードバックを得る事で、文章力が付くのである。
私のように過去や現在の自分にばかり宛てて日記書いてると後々苦労するぞ、父兄教師諸君にはその事を念頭に置いて国語教育を行って頂きたい。


それでも私は文章を書きたいと思っている。
あわよくばこの小学生並の文章力ホスピタリティで後々でもお金を稼げればと思っている。
そのリハビリとしてはてなブログでも始めみようと思った次第です。
どうぞよしなに。